昔も今も、旅の楽しみは各地の名物や名産品。
かつての東海道の宿場町、
小田原で長く愛されてきた、土産物や街道の食をご紹介します。
和紙


和紙の需要が高まり、庶民に広く普及したのは江戸時代。箱根関所の役人だった初代・江嶋権兵衛が、江戸初期の1661(寛文元)年に小田原で商いを起こし、江戸中期に障子紙などの和紙を取り扱うようになった。小田原を代表する商家建築、「出桁造り」が印象的な「小田原 江嶋」では、行商先の駿河・遠江(静岡)から持ち帰ったことに始まるお茶と並び、色鮮やかな友禅紙や楮100%の手漉き和紙、一点ものの工芸和紙などを購入できる。
小田原提灯


江戸時代中ごろ、小田原の提灯職人が箱根越えの旅人のために考案したとされる。携帯に便利なように小さくたためる、中骨が平らなため胴紙がはがれにくく丈夫、雨や霧にも強いなどの特長がある。かつては小田原に6軒ほどあった提灯店で唯一残っているのは、明治創業の「山㟢提灯店」。看板提灯、祭提灯などの伝統的なものに加え、オリジナル提灯の注文にも応じている(現在は数カ月待ち)。
小田原漆器

ろくろ挽きの職人が多く定住していた室町中期の小田原で、箱根や伊豆の良質な木材を用いて作った器に漆を塗ったのが始まりとされる。江戸中期には椀や盆などに加え武具類も制作された。代々小田原藩お抱えの槍塗師を務め、1887(明治20)年、小田原漆器の製造販売店として創業したのが「石川漆器」。国産の原木から製品化まで一貫して行っており、塗りや意匠に新しい感覚を取り入れた、普段使いの漆器を多く手がけている。
小田原鋳物

1534(天文3)年に河内から小田原に来住した、山田治郎左衛門が鋳物業を開いたことが始まりと伝わる。北条氏が鋳物造りを奨励し、宿場町として栄えた江戸時代には、鋳物師が多く住む鍋町(現在の浜町の一部)から上がる炉の炎が、大磯、平塚からも見えたという。小田原鋳物の伝統を受け継ぎ、現代に適した鳴物、花器、楽器、仏具、文房具などの製作を行うのは「柏木美術鋳物研究所」。工房横に店舗を併設している。