小田原時層案内NEW!

海と山に囲まれた歴史ある町、小田原。町を盛り上げる活動をする人たちに町の移り変わりやおすすめスポット、ほかの町との交流について聞きました。暖かい陽気に誘われ出かけたくなる季節。「時層の旅」へ出かけませんか。

①町角そぞろ歩き

城下と宿場の面影今も
新旧の店息づく、海風薫る町

町のシンボル・小田原城の周辺をのんびり気ままに散策すれば、歴史ロマンと爽やかな潮風に包まれる。町の人に聞いたおすすめスポットをご紹介。

御幸の浜へと続くトンネルは撮影スポットとして人気が高い。
丸石が埋め尽くす御幸の浜に立つ小西里奈さん。
「かまぼこ通り」には、かまぼこの老舗のほか、干物店や鰹節店などもある。
古い町並みの中に新しい店もあり、歩くと楽しい。

 小田原開城から436年、江戸時代は東海道の宿場として栄え、やがて五つの路線(東海道線・東海道新幹線・小田急線・箱根登山線・大雄山線)が集まる町になった小田原。鉄道好きからみれば、電車がじゃんじゃん走るスゴイ町なのです。でもそのためにこの城下町は、箱根や伊豆に行くときに車窓からお城を見るだけの町になっていた。ところが近年、小田原の町を歩くと、昔ながらの商店街にカフェや商店が増えて、面白くなっている。
 「かまぼこ通り」にかつてのにぎわいを取り戻そうと活動する「小田原かまぼこ通り活性化協議会」のメンバー、小西里奈さんに話を聞いた。「家はJR御殿場線の東山北にあって、小学生の頃から小銭を握りしめて、家族と小田原の志澤デパートに行っていました」と話す。高校生の時には無人駅だった「東山北駅の時刻は暗記していた」というほど小田原に通い詰めた小西さん。やがて小田原で結婚し、子どものPTA活動から始まり、地域の活動にも参加してきたという。小田原かまぼこ通り活性化協議会ではさまざまな企画を立て、地域のにぎわいづくりに取り組んでいる。
 御幸の浜に近いジェラート店「龍宮堂」の店主でもある小西さん。「この店は、元は干物屋さんでした。行政の空き店舗のマッチングを使って開店することができたんです」。小田原は、若い企業家が何かを始めるのにちょうどいい町と語る。そんな小西さんに小田原のおすすめスポットを聞くと、「店の看板に『海まで30歩』とあるように浜ですね。小田原の海岸は石ころだらけで、波が来るとコロコロ音がして面白い」と教えてくれた。
 「龍宮堂」から海岸までの間には西湘バイパスの下にトンネルがあり、心地よい風が吹き抜ける。「海へと続くトンネルをぜひ体験してほしい」と小西さん。額縁のようなトンネルを抜けると、細かな路地が続く街並みから一転して、スケールの大きな御幸の浜が広がった。小田原城を海から守った浜には、無数の丸石が渚を埋め尽くしていた。

東海道の小田原宿として発展
産業や文化の歴史に触れる

1633年創業で、大正時代に再建された「済生堂薬局小西本店」の百味箪笥(ひゃくみだんす)。小田原市では、古くから栄えた店を「街かど博物館」として観光客に魅力を伝えている。

 「この建物は昭和初期に建てられた漁網店でした。最後は証券会社だったけど」と語るのは、国道1号線(東海道)に面した「小田原宿なりわい交流館」館長の平井丈夫さん。重厚な商家が観光案内や無料のお休み処として、小田原のまち歩きの拠点となっている。
 小田原の老舗カフェ「ケントスコーヒー」の店主でもある平井さんに、小田原の移り変わりを聞いた。「以前はトイレ休憩の町でした。観光バスで来て小田原城を見たら、すぐに別の場所へ行っちゃう」。そういえば、以前の小田原には新幹線駅もあるのにちゃんとしたホテルも少なかった。「箱根のベース基地でしたからね。でも小田原には歴史もあるし魅力も多い。ここを観光の目的地にしたいと頑張ってきた」と語る。
 小田原宿なりわい交流館が漁網店だったように、一帯はかつて魚河岸もある漁師町で、近くの松原神社には小田原北条氏の紋、ミツウロコ入りの漁師の長半纏(ながばんてん)「万祝(まいわい)」も展示されている。休日になると、水産加工業者が集まる「かまぼこ通り」には多くの観光客が訪れるようになった。人気の御幸の浜や、武家屋敷町だった西海子小路(さいかちこうじ)も歩く人が多い。
 平井さんに春の小田原のおすすめ場所を聞くと、「春は魚の種類も増えるので、小田原漁港のおさかな通りはいいですね。武家屋敷の面影が残る西海子小路は桜の名所ですよ」と教えてくれた。休日は車で大混雑する漁港周辺だが、木造駅舎が残るJR東海道線早川駅から歩くのもいいだろう。
 今回は平井さんおすすめの小田原用水を歩いてみた。逆光に輝く早川と「城下17町の飲料水になった」(案内看板)という用水取入口には早咲きの桜が植えられていた。この方面には松永記念館などの名所もある。
 小田原から箱根板橋方面へ向かう国道1号線沿いには、お城のような造りの建物がある。室町時代に中国から渡来し、北条早雲によって小田原へ招かれた外郎家が営む製薬と製菓の老舗「ういろう」本店だ。薬も菓子も家名から「ういろう」と呼ばれ、25代にわたって一子相伝の製法を守り継ぐ。対面販売を基本とし、町の発展とともに歴史を刻み続けている。

小田原北条氏(戦国時代)以降、歴代城主が崇敬し、小田原の総鎮守とされている松原神社。
「小田原宿なりわい交流館」の館長、平井丈夫さん。建物は国の登録有形文化財。
八棟造りの建物が目を引く「ういろう」本店。
室町時代に外郎家が国賓のもてなしに考案したという菓子「ういろう」。

②歴史つむぐ地域間交流

時を超えて結ばれた縁
今も続く祇園祭との交流

小田原の老舗「ういろう」の歴史をたどると、室町時代の京都までさかのぼる。約600年もの時を超えて京都や静岡県森町と結ばれた縁、現在の小田原との交流について、現当主である25代目の外郎藤右衛門(ういろうとうえもん)さんに話を聞いた。

祇園祭くじ改めの直後に、蟷螂山保存会のメンバーと「ういろう」の現当主、社員らで記念撮影。
からくり人形のカマキリは子どもに一番人気で、沿道からの歓声が絶えない。

 夏の京都の風物詩「祇園祭」で人気の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)。その山鉾のなかで唯一、からくり仕掛けの「カマキリ(蟷螂)」をのせた「蟷螂山(とうろうやま)」は、沿道からの歓声が多い人気の山だ。これを創始したのが、外郎家2代目の陳外郎大年宗奇(ちんういろうたいねんそうき)だという。
 大陸から博多を経由して京都に移住した外郎家。2代目の大年宗奇は朝廷に重用され、医薬術や外交で活躍した。1376年、足利軍との戦いで戦死した四條隆資(たかすけ)卿の25回忌の法要として、四條家の御所車に蟷螂を乗せて巡行。これが蟷螂山の始まりとされ、隆資の勇敢な戦いぶりを、強敵に立ち向かう様を表す中国の故事「蟷螂之斧」にちなんだと伝えられる。
 蟷螂山を創始して約130年、5代目の陳外郎宇野藤右衛門定治が京都を離れたため、蟷螂山とは疎遠になった。蟷螂山は幕末の京都で発生した数回の火災でその大半を焼失。明治から大正、昭和までの約110年間、巡行から姿を消した。
 転機となったのは20年ほど前。ある歴史作家の話から、「ういろう」の現当主が蟷螂山との関わりを知ったことだ。蟷螂山は、1981年に復興。復興30周年の2011年には、蟷螂山保存会の呼びかけで、現当主が巡行に参加した。京都では、「外郎家が蟷螂山に戻ってきてくれた」と温かく歓迎されたという。以来、現当主と「ういろう」の社員が蟷螂山に協力し、毎年巡行に参加している。京都の蟷螂山町では外郎家を、毎年「おかえりなさい」と迎える。
 「蟷螂山を復興し、私たちに声をかけてくださった京都の皆様には感謝しかありません。弊社社員も直会(なおらい)を含む貴重な体験を通じて、伝統を守る大切さを学び、仕事に生かしています」と現当主は話す。

「蟷螂山」創始者の子孫、「ういろう」現当主の外郎藤右衛門さん。毎年、総代として参加している。

小田原と京都の中間地点
伝統を受け継ぐ「蟷螂の舞」

子どもが舞い、氏子の大人が地方(じかた)で支える舞楽。伝統を受け継ぐ“妙”が感じられる。これら八段の舞楽は、国の重要無形文化財に指定されている。

 北条早雲が外郎家を京都から小田原に招いたことで生まれた「時を超えた縁」は、京都と小田原のほぼ中間地点にある静岡県森町にもあった。
 皇室献上品の次郎柿の産地で、「森の石松」生誕の地でも知られる森町は、中世の頃から遠州の文化的・経済的拠点として発展。近世にかけて交易の要所でもあり、「遠州の小京都」とも称される。
 毎年7月中旬になると、森町飯田地区では「山名神社天王祭舞楽」が行われる。応仁の乱以前の京都で舞われていた風流舞の流れを汲むとされる8種の稚児舞で、そのうちの一つが「蟷螂(とうろう)の舞」だ。祇園祭の「蟷螂山」に由来するといわれるこの舞を伝えたのが、京都から小田原へ下る途中の外郎家といわれる。「町の中央を太田川が流れる森町は、物流や情報の拠点。ここに逗留し、早雲のために近隣地域の情報収集をしていたのではないか。その際、滞在を怪しまれないように、京都で舞われていた蟷螂の稚児舞を伝承したのではないかと思う」と外郎家の現当主、藤右衛門さんは推察する。
 稚児舞は、神社境内の舞殿で笛と堤太鼓の調べの中、夜遅くまで情緒豊かに舞われる。その舞の後半に8台の屋台(山車(だし))が境内に乱入。御所車風の2輪の屋台は威勢のいい笛太鼓を奏でながら練り歩く。普段は静かな町に響き渡る独特なお囃子の調べは、祭りが終わった後も余韻が心に響く。
 外郎家と森町は2005年から交流を開始し、14年、16年にはその舞楽を小田原で特別公演。さらに18年には、森町の現役最古の屋台を現当主が譲り受けて地元に寄贈、小田原流に改装し、5月の松原神社例大祭で曳行した。それにより、小田原と森町の双方で祭事を見学に行く人が増えたという。ほかにも、小田原市の十郎梅と森町の次郎柿の苗木を贈り合うなど、地域間での文化交流は今も大事に育まれている。
 外郎家現当主は「『家』ではなく『町』としての交流を深める架け橋になりたい」と話す。

静岡県森町から譲り受けた屋台を松原神社例大祭で曳行した。
御所車のような2輪が特徴。
ういろう本店の奥にある「外郎博物館」に展示された「蟷螂の舞」のかぶりもののレプリカ。店員が無料で案内してくれる。

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