初詣やパワースポットめぐりをするなら、絶景&大自然が楽しめる箱根・小田原へ足を運んでみませんか。古くから東海道の宿場町として人々が旅した箱根・小田原には、歴史ある神社が点在します。地域を象徴する神社や山頂の神社をめぐり、開運招福の旅へ出かけよう。
箱根神社
奈良・鎌倉の昔から
街道をゆく人々が詣でた
冬の季節、芦ノ湖畔に立つ大鳥居から神々しく朝日が差し込んでくる。湖に向かって「平和」の額が掲げられる鳥居は、箱根神社のシンボルとして訪れる人が絶えない。巨大な杉に圧倒されながら参道を上ると、源頼朝をはじめ、多くの武将が勝利を祈願した社殿が姿を表す。757年、万巻上人によって箱根権現が創建され、関東総鎮守として信仰を集めてきた。始まりは神仏習合で、社殿奥の鬱蒼とした森には万巻上人の奥津城(おくつき=墓所)がある。神社は東海道の要所、箱根の関所に近く、人々は古来より戦勝祈願や行路安全の願いをかけてきた。巨大な山、交通の難所、そして温泉と富士を望むとびきりの絶景。人々は箱根に人知を超える力を感じたのだと思う。社殿の隣には九頭龍神社の新宮があり、九つの龍の口から流れ落ちる龍神水から、霊験を求めて水をいただく参拝者も多い。
箱根元宮
天空の神に近づいた
山岳信仰の絶景社殿
芦ノ湖が誕生したのは約三千年前という。その頃、箱根カルデラの中央にそびえる神山で水蒸気爆発が起こり、火砕流が落下して仙石原や芦ノ湖を作った。ざっくり言えば縄文時代から弥生時代にかけて、壮大な火山のドラマがあったのだ。
そのトップ・オブ・ハコネとも言える駒ヶ岳に登った。目的は標高1356mの山頂に鎮座する箱根元宮だ。下界と隔絶した山頂の社殿は1964年に西武グループの堤康次郎によって寄進されたもの。神体山である箱根の最高峰、1438mの神山を拝する位置にあり、日本神話に登場するニニギノミコト(父)、コノハナサクヤヒメノミコト(母)、ヒコホホデミノミコト(子)の御三神を「箱根大神」と総称し、山麓の箱根神社で祀っている。開運厄除の御利益とともに、富士を一望できる箱根屈指の大絶景が待っている。
九頭龍神社
太古の歴史を感じて
森の中の神域を訪ねる
箱根神社の縁起によれば、芦ノ湖に棲む毒龍が人々を苦しめていたところ、箱根大神の霊力を授かった万巻上人が調伏。悔い改めた毒龍は芦ノ湖の守護神となり、万巻上人は九頭龍大神として神社に祀ったという。ちなみに万巻上人は仏教伝来から二百年ほど経た奈良時代に、神と仏を結ぶ神仏習合を体現し、各地に神宮寺を建立、修験道にも通じた高僧として知られる。
九頭龍神社本宮のある森は、まさに火砕流の堆積した場所で、あちこちから清水が湧く礫岩層にある。火山活動が、古代人には荒ぶる龍の姿に見えたのかもしれない。そんな大地のパワーを秘めた龍神は金運と商売繁盛、縁結びに御利益があるとして人気があり、湖畔の道を歩いて訪れる人も多い。この九頭龍神社本宮と、勝負事に強いという白龍神社は「箱根九頭龍の森」内にある(入園料600円)。
報徳二宮神社
二宮金次郎の遺徳と
心地よい境内が魅力
箱根神社めぐりの最後に、小田原城の一角にある報徳二宮神社に参拝した。薪を背負って書を読む像で有名な、二宮金次郎(尊徳)をお祀りする神社だ。社殿は小田原城天守閣の南西、緑に囲まれた小峰曲輪という位置にあり、かつて小田原城主が植えたという樹齢300年の大杉で建立された鳥居が迎えてくれる。
江戸時代、小田原近郊に生まれ、農家の出身ながら小田原藩の財政政策に貢献し、能力を買われて荒廃していた下野(栃木)の領地を立て直すなど、各地の窮乏をその才で復興させた。経済と道徳を柱とする尊徳の実践主義は、幕末から明治にかけての日本の近代化や発展にも大きな影響を与えている。
1894(明治27)年に、二宮尊徳が仕えた小田原藩小田原城内に報徳二宮神社が創建され、のちに現在地に場所を移している。神明造りの御社殿は1909(明治42)年に建てられたもの。年月を経た柱や床の木肌が、質素を礎とした尊徳の教を伝えているようだ。建物を支える礎石は天保の大飢饉の際、藩主の命により尊徳が開いて領民に犠牲者を出さなかった城内の米蔵のものとされている。日本庭園のように整えられた境内に入ると、さまざまな二宮金次郎像が迎えてくれ、開放的な「きんじろうカフェ」も併設。境内全体が心地よい空間になっている。また尊徳の業績から、学業成就、経営再建や商売繁盛を祈願する参拝客も多い。