明治以降、多くの政治家や財界人が別邸を構えた小田原。機能美を随所に感じる茶室や季節の花で彩られる庭園に魅了される別邸、この春誕生したばかりの文化財を利活用したうなぎ料理専門店で、和の風情に包まれてみては。
数寄屋茶人・耳庵ならではの自由な感性が魅了する
―松永記念館
今日の日本の電力体制を作り上げ、「電力王」とよばれる一方で、「耳庵」と号し、近代三茶人の1人としても知られる松永安左ヱ門氏(1875~1971年)。71歳で所沢から移り住み、晩年を過ごしたのが小田原市板橋。市に寄贈された敷地と建物を、一般に無料公開するのが「松永記念館」である。
中核となる建物は、国登録有形文化財でもある耳庵の居宅、「老欅荘」。その名は、屋敷の正門にそびえる欅の大木に由来し、この欅を眺めるためにあえて、敷地の中心ではない隅を選んで建てたという。
見どころは、畳の敷き方や建具の仕様、明かり取りなど、既成概念にとらわれない、自由な発想から生まれた機能美。数寄屋造りの中に田舎家風民家造りを取り入れる、茶室に限らずどの部屋にも湯が沸かせる炉が切られるなど、“生活の中の茶”を実践した耳庵ならではのこだわりが随所に見られる。
生きた文化財で味わう滋味あふれるうなぎ料理
―豊島鰻寮 一月庵
小田原中心部の旧武家地、市街地に残された数少ない緑地に佇む「旧豊島邸」は、国の登録有形文化財。昭和16(1941)年の建築で、箱根 宮ノ下の開業医・豊島牧四郎氏(1918~1987年)が別邸として購入。早咲きの小ぶりな椿・侘助を庭に植え、深く愛したことから「一月庵」と名付けられ、没後、小田原市に寄贈された。
日本の住まいの伝統である、“庭屋一如(庭と建物は一つの如し)”に基づく木造平屋建ての建物は、書院風と数寄屋風の意匠を融合した造りで、建具や天井の細工も細かく、当時の町場の職人の技が見られるのも実に貴重だ。
この歴史的建造物を護り、生かす食事処としてこの春誕生したのが、うなぎ料理専門店「豊島鰻寮 一月庵」。名物料理は、うなぎの骨で丁寧にとった黄金色のだしが使われた、「うなべ」と「うぞふすい」。どちらも京都生まれの料理で、関東で味わえるのは珍しい。
食べやすく骨を抜いた筒切りのうなぎ、庄内麩、九条ねぎ、くずきりを煮た「うなべ」は、上品な味わいの中にうなぎのうまみが溶け出し、体に染みわたるおいしさ。白焼きのうなぎにお餅、野菜を卵でとじた「うぞふすい」は、やさしく品のある味わいで、香りもよく食が進む。